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神の島 久高島 アベール岬空撮

ブログ 2017.12.26

船に乗って

離島の久高島で撮影をしてきました

神の島と呼ばれるこの島はとても厳かな気持ちにさせてくれる島です

有名なアベール岬に通じる長い一本道を空撮しました

是非見て頂きたいです。

下記はウィキペディアから引用

歴史[編集]

琉球王国時代には国王が聞得大君を伴って島に渡り礼拝を行っていたが、後に斎場御嶽から久高島を遙拝する形に変わり、1673年延宝元年)からは、国王代理の役人が遙拝を務めるようになった。

行政区域上は1908年(明治41年)の島嶼町村制施行時に島尻郡知念村久高となり、2006年(平成18年)に知念村が佐敷町玉城村大里村と合併したため南城市知念久高となった。

文化[編集]

1954年に行われたイザイホー

  • 琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島である。琉球王朝時代に沖縄本島最高の聖地とされた斎場御嶽(せいふぁうたき)は、この久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽であり、久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所と考えられていた。島内には御嶽(うたき)、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井(かー)などの聖地が散在しており、中でも島中央部にあるクボー御嶽は久高島第一の聖域であり、男子禁制である。
  • 島北端のカベール岬は祖神アマミキヨが降り立ったとされる地であり、海神が白馬の姿で降臨したとも伝わる聖地である。

現在の久高島

  • 久高島には琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度行われる秘祭イザイホーを頂点とした祭事を行うなど、女性を守護神とする母性原理の精神文化を伝えており、民俗学的に重要な島である。12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性がナンチュという地位になるための儀礼として行われる。それにより一人前の女性として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされる。ただしイザイホーは、後継者の不足のために1978年に行われた後、1990年2002年2014年は行われていない。

イシキ浜

  • 久高島は海の彼方の異界ニライカナイにつながる聖地であり、穀物がニライカナイからもたらされたといわれている。『琉球国由来記』(1713年)によると、島の東海岸にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされる。島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪であり、それをアカッチュミとシマリバという名の夫婦が拾ったともいう。また、年始に男子一人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式がある。
  • かつて琉球時代に執り行われた「麦の穂祭り」など多くの五穀発祥にまつわる祭祀が年中行事として現在も残る。
  • 久高島の土地は村有地などを除いてすべて共有地であり、琉球王朝時代の地割制度が唯一残っている。「久高島土地憲章」により分配・管理を行っている。
  • 島内は観光開発がほとんどされず集落は昔ながらの静かな雰囲気を残している。また上記の聖地をまわるにもほとんど標識がないため、詳細な地図をあたるか、地元の人に聞かないと探すのは難しい。
  • 中世から近世にかけて、久高海人は奄美群島まで出かけて、現地妻を作るなどしたため、奄美との交流の歴史は古い。奄美の一地方では、久高海人を意味する「くだかんちゅ」という言葉が、久高島周辺の沖縄諸島住民全体を指して用いられることがあった。
  • かつて風葬が行われていた地であり、地元の方言による葬送歌なども存在する。
  • 1966年のイザイホーの際に取材に来た芸術家岡本太郎は祭りの最中に男子禁制のクボー御嶽に入り、風葬の地に入って墓を写真に撮り、写真を週刊朝日に掲載した。これが直接の原因ではないが、現在では久高島では風葬は行われていない。
  • 岡本太郎の著書『沖縄文化論 – 忘れられた日本』(中央公論社刊 1972/10)によると、岡本は久高ノロの子息に案内されて1959年に大御嶽を訪れており「ここもかつては男子禁制だった。」と書いている。1966年の再訪の際にもクボ―御嶽に行って写真を撮影している。「那覇から来ている新聞記者」らと共に有志の案内で後生(ぐそう)を訪れ、ここで風葬を撮影した。

産業[編集]